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院長コラム

Vol.17 乳癌の手術の始まり

 英語で癌のことをcancer(キャンサー)といいますが、cancerには蟹(カニ)座という意味もあります。癌がそう呼ばれるようになったのは、乳癌に冒された部分が、蟹が貼り付いたように見えることに由来しています。

 紀元1世紀のローマでは、大きな乳腺腫瘍は病気の進行を早めるので、手をつけてはならないと考えられ、中世まで手術は無駄だとされていました。

 18世紀になると乳房全体を切除する手術が始まり、19世紀に全身麻酔の普及とともに広がりますが、細菌感染による術後早期の死亡と切除部位への癌の再発が大きな壁として立ちはだかります。近代外科の巨人と呼ばれたビルロート(Vol.15 参照)でさえも、1879年に発表した成績を見ると、感染による早期の死亡率が20%以上、局所再発は82%、生存率も25%という惨憺たる成績でした。

 これを劇的に改善させるのが、米国のウィリアム・ハルステッドです。ビルロートにも教えも受けたハルステッドは、感染予防を英国から取り入れ、乳房を胸の筋肉と脇の下のリンパ腺をまとめて切除します。1898年の報告では、133例中76人が術後3年以上生存しており、かなり進行した癌しかなかった時代で、驚くべき好成績といえます。また、局所再発率も10%以下に抑えられ、無治療で癌組織が崩れて悪臭を放つのを待つだけだった患者に大きな希望を与えます。この術式は根治的乳房切断術と呼ばれ、放射線治療や薬物療法の発達に伴い現在では1%以下になりましたが、米国では1970年代中頃まで、我が国では 1980年代後半まで、標準術式でした。

 実は、乳癌の手術に関しては、我が国の歴史は古く、1804年に紀州(和歌山県)の華岡青洲(はなおかせいしゅう)が、世界に先駆けて全身麻酔で乳癌の手術を行います。アサガオの一種である曼陀羅華(まんだらげ)からの抽出物を主成分とした通仙散を20年かけて麻酔薬として精製し、母と妻で人体実験を行い、妻は副作用で失明します。この嫁姑の葛藤を描いたのが昭和41年に有吉佐和子によって描かれ一躍有名になった「華岡青洲の妻」です。150例以上の乳癌の手術を行った彼は、脇の下のリンパ腺への転移が予後に関係することも気づいています。

院長 笹壁弘嗣

新庄朝日 第553号 平成18年7月15日 掲載

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